無限ループ
おはようございます。中小企業診断士のけんけんてます。
転職の話をしようと思いましたが、気づいたらパワハラネタになっていました。
私がいた支店のキャビネットは大きなヘコミがあります。
パワハラ支店長が怒り狂って、キャビネットをボコボコに蹴った跡です・・・。
人的被害は無かったですが、精神的被害は大きかったです。
これが2回目に転職を考えた事件でした。
3回目の転職を考えたのが今回の話です。
中小企業診断士は令和元年に合格しました。
「中小企業診断士に合格すれば何かが変わる。」
合格するまでの道のりが長かっただけに期待も膨らみました。
一番変わったことは「人脈の広がり」です。
合格後にあっという間に人脈は広がりました。
同期合格した仲間との出会いは大変刺激になりました。
私は元々「前に出るタイプの人間」ではありません。
どちらかというと裏方で支えるタイプです。
それは診断士合格したからといって元々の性格は変わらないと思います。
ただ回りに個性派の揃いの仲間が揃っているので、私も背中を押されて診断士活動が出来ているのかもしれません。
職場の環境も診断士合格すれば「何かが変わる」と思っていました。
私が勤めていた銀行では養成課程へ進まずに、診断士2次試験に合格したのは私が初めてだそうです。
からくりは簡単です。
銀行の業績が良かった時代は1次試験に合格すれば養成課程に行かせてもらえました。
銀行の業績が傾いた際には養成課程に派遣して診断士を育てるよりも、コストカットを選んだ。ただそれだけです・・・。
もう一つ私の転職を決めた大きなきっかけは人事評価です。
私は最終的には支店長代理という中間管理職で銀行生活を終わりました。
支店長、次長が管理職です。支店長代理という役職は管理職一歩手前という位置づけです。
結論から申し上げると支店長代理というポストを拝命し11年経っても管理職に上がれなかったということが転職の大きな引き金を引きました。
要は銀行も上のポストが空いていないのです。
私の銀行での評価は良かったです。自分で言うのも何ですが・・・。
自分より仕事が出来ない上司の中で、自分を奮い立たせて仕事を頑張る。
そして頑張っても次のポストへの道が開けない。
この無限ループが続きました。
診断士合格がこの無限ループを解消できる可能性を信じていましたが、そう甘くは無かったです。
詳細は次回以降で書いていこうと思います。
今日はここまでにします。
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破壊王・・・。
おはようございます。中小企業診断士のけんけんです。
前回は診断士1次試験に合格を果たすも診断士養成課程に行かせて貰えなかった話をしました。結局1次試験はトータルで3回合格しました😅
忘れていましたがブログ村では中小企業診断士試験のカテゴリーに入っています。試験ネタを書かないで申し訳ありません。
私は中小企業診断士を取得した後の変化をお知らせする事で、多年度受験生のモチベーションアップに貢献出来ればと思っています。
さて、私の転職について書いています。
転職活動については、今回が初めてではありません。
1回目はパワハラ支店長からボコボコにされた時です。
私の銀行でも有名のパワハラ支店長です。
実力は上弦の参相当です。
まあ勝てないですわ。柱である煉獄さんでも負けるくらいですから。
ショッカーレベルの私の実力では・・・。
しかし、転職サイトに登録し求人を見る程度で終わりました。
この時は中小企業診断士に合格してパワハラ支店長をギャフンと言わせてやろうと思っていました。転職も本気では無かったと思います。
この時の年齢は36歳でした。
「38歳までに診断士完全合格を果たし、その後に本部に異動する」この時に描いたシナリオです。
そもそも「1次試験に合格した後に養成課程に行く」とシナリオが崩れた時に、人生そんな筋書き通りにいくことは無いということに全く気付かなかったです。
2回目に転職を考えたときは、最強のパワハラ王である鬼舞辻無惨と出会った時です。
いわゆるラスボスです。彼の前では誰もが無力になります。威圧感、パワーどれを取っても凄まじいです。詳細を書くと皆さん引いてしまうレベルのパワハラです😢
上弦の参猗窩座は1年間で6人もの行員を退職に追い込み、役員の夢は途絶えました。
しかし、無惨は6人どころの話ではありません。
銀行の人事部も彼のパワハラ行為は知っています。
しかし、恐怖政治のために支店の業績が良かったことから黙認していました。
ちなみに私も知り合いの人事部行員に無惨のパワハラ行為について話したことがあります。「パワハラ行為については、双方の調査が必要になります。あと1年我慢すれば転勤になるよ」と言われました。
人事部の知り合いは無惨と直接対決をしても勝ち目が無いと暗に言ってくれました。
銀行の人事部は「人のことを見る部署」ではありません。
銀行の人事部は「いかに人件費を減らして利益を上げるか」というコストカッターをする部署であることに気付くのはもう少し時間がかかりました。
転職ネタではなくパワハラネタになってる・・・。
今日はここまでにします。
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希望の光
おはようございます。中小企業診断士のけんけんです。
前回は中小企業診断士を目指したきっかけについて話しました。
黒歴史を紐解くことは辛いことですが、頑張っていきましょう。
「パワハラ上司から逃げる一筋の光」
それは「中小企業診断士1次試験を合格して養成課程へ進むこと」でした。
精神的に追い込まれた私は、この方法に賭けるしか無かったのです。
勉強している時はパワハラという苦悩から解放される一時でした。
毎週栃木から池袋まで予備校に通うことも苦痛では無く刺激的でした。
そして1次試験は合格しました。
しかし人生はそう上手くはいきません。
1次試験に合格しただけでは劇的に人生は変わりませんでした。
当時から業績が不安定であった私の銀行はコストカットしか頭に無く、費用がかかる養成課程には行かせてくれません。
人事部からは「1次試験合格後は要請過程」など上手い話は書いてありますが、名目だけでしょう。なぜなら、私が1次試験を合格した平成24年以降、銀行から養成過程に進んだ人物を見たことが無いからです。
私が人事部に問い合わせをした時に「要請過程に行くためには年齢制限があって、35歳までに1次試験を合格する必要が・・・」という話がありました。
「聞いてないよー」心の中でダチョウ倶楽部が叫びます。
あっけなく夢が途絶えました。
しかし「実力で2次試験を合格して見返してやる!!」と心に誓いました。
当時、半沢直樹が放送されていれば「倍返しだ!!」と叫んだことでしょう。
「2次試験合格すれば何かが変わる」そう信じていました。
ただ2次試験合格まで、これから8年かかるとは思いもしなかったです。
ただし今振り返ると、当時の支店長は鬼滅の刃でいう「上弦の参」ぐらいのレベルでしょう。パワハラ支店長ではありましたが、理屈が通じない訳では無かったからです。
ちなみに、この「上弦の参」とは3店舗一緒に仕事をしました。
昔から体育会系の人間でした。
最終的に支店長になり歯止めが効かなくなったのでしょう。恐怖政治のおかげで支店の業績は良かったです。将来は役員候補とも言われました。
しかし、その後パワハラ支店長は本部に異動になります。
1年間で6名もの退職者を出したことが原因らしいです。彼も役員という夢は破れたのです。
しかし、この時点では最強の敵である「鬼舞辻無惨」と後に出会うことは、全く考えもしませんでした・・・。
今日はここまでにします。
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診断士を取得した結果・・・。
おはようございます。中小企業診断士のけんけんです。
前回のブログは役職定年について書きました。
役職定年自体は仕方がないと思いますが、銀行の場合は比較的早い年齢で役職定年を迎えることだと思います。
53歳で役職定年と言われる訳ですから・・・。モチベーションが上がる訳がありません。銀行の人事部に事例Ⅰの講義を受けていただいた方が良さそうですね。
私は中小企業診断士の資格取得により間違いなく人生が変わりました。
しかし変わらなかったことがあります。
それは「私に対する銀行内の評価」です。
私個人の問題でありますが。恥を忍んで書きますね・・・。
この話をするためには、診断士を目指したルーツを振り返る必要があります。
私が中小企業診断士を目指したきっかけは銀行内でのパワハラでした。
くじ運の問題かもしれませんが、銀行員生活の半分はパワハラ上司。
中小企業診断士の1次試験を合格すれば養成課程に入れてもらえるという話があり勉強を開始しました。
要するに養成課程に入ってパワハラ上司から逃げることが目的です。
この時点では「中小企業診断士1次試験に合格すれば、人生変われる」と思っていました。
「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマがありましたが、逃げることは恥ではありません。私の場合自己防衛でした。
逃げられない現実から希望の光が見えた瞬間でした。
そこから壮絶な診断士受験生活が始まるとは思いもしませんでしたが・・・。
因みに中小企業診断士の受験勉強を開始した時は平成23年です。
初年度の結果は経済学のみが合格していました。
しかし、パワハラ上司に振り回される劣悪な環境の中でも1科目合格できたことは嬉しかったです。
もし1科目も合格出来なかった場合、試験勉強を止めていた可能性が高かったかもしれません。
平成24年は栃木から池袋まで高速バスを使い毎週予備校に通いました。
さすが予備校です。独学の数百倍分かりやすい授業に感動しました。
また社会人が時間と金をかけて勉強している環境の中で自分も勉強している。
この感覚が刺激的でした。
養成課程という僅かな希望を目指して勉強を必死に頑張りました。
そしてパワハラ上司の仕打ちにも「1次試験合格すればこの上司から逃げられる」という気持ちから耐えられたのだと思います。
その結果、平成24年1次試験は合格しました。
養成課程という希望のチケットをつかみ取りました。
パワハラ支店長ともおさらばです。
この瞬間、BGMにゆずの「栄光の架け橋」が流れているイメージです。
しかし、人生そう上手くはいきませんでした。
次回へ続く・・・。
今日はこのへんで終わりにします。
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転職のきっかけ
おはようございます。中小企業診断士のけんけんです。
最近ブログを再開しましたが、皆様からいろいろな反響をいただきます。本当に有難うございます。
同じく銀行から転職された方に激励の言葉を頂くなど大変勇気が湧きました。
転職を選んだ事が正解であるかは私の行動次第で決まります。
覚悟は決まっていますので、頑張るのみです。
皆様から「転職」についての質問を受けることが多いです。
代表的な質問に答えていきます。
Q「転職を考えたきっかけは何ですか?」
A「ずっと考えてたわ!!」
答えについては「おいでやす小田」の大声突っ込みをイメージして下さい・・・。
黒歴史は長いですが、まずは直接的な転職を考えたきっかけを話します。
今日は収入面の話をします。
大学卒業後、銀行に入社。そして最終的には支店長になり定年退職。
これが入社当時に考えていたイメージです。
「当然そうなるものだ」と考えていました。
若い時は、仕事→居酒屋→自宅の無限ループを繰り返した日々。
仕事も一生懸命やっていて面白かったです。
時は進んで23年・・・。昨年のことです。
若かりし時に一緒に飲み歩いていた先輩達からこんなことを聞きました。
「役職定年で収入が激減したわ・・・」
銀行は53~55歳で役職定年になる制度があります。
金融系では役職定年制度は一般的なのでしょうか。
他の業種でも役職定年があるとは思いますが、50代前半での役職定年は早いのではないでしょうか。
昔から役職定年制度はありましたが、具体的なイメージは全く無かったですね。
役職定年後の収入も多少下がる程度かと思っていました。
役職定年を迎えた先輩は収入の激減に加えて、モチベーションも激減していました。
銀行員は元々の収入水準は高いと思いますが、役職定年後の具体的な収入を聞いたら私もモチベーションが下がりました。
「こんな収入で銀行の仕事なんかやってられるか!!」と思います。
収入が下がっても、任される仕事は今まで通り。責任ばかり増えていきます。
私は子供が2人いますが、下の子供はまだ5歳。
53歳で役職定年を迎えた場合、二男はまだ12歳。
小学校6年生でこれから受験などお金がかかる。
しかし、その状況の中で私の収入が激減・・・。
「やってられるかー」
これも「おいでやす小田」の大声突っ込みをイメージして下さい・・・。
直接的にナイフを突きつけられた感じがしました。
支店長クラスでも役職定年を迎えて「年収が400万下がった」などの話を聞きました。
若い時に一緒に仕事をした仲間から具体的な話が耳に入ってくるようになりました。
以前からこのような話は50代銀行員の大きなテーマなのでしょう。
しかし、私には直接的に話を聞く機会が無かっただけかもしれません。
いろいろば転職のきっかけはありますが、今日はここまでにします。
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